ponsta_comのブログ

おもいついたこと

祖母

 

「あらま、よく太ったね、翔太」と祖母が初めに声をかけたのは、たまに会っていただけの肥満の弟だった。

 

8年間2人だけで共に暮らしてきた私の顔を見ると、「この人は誰だい」と皺枯れた声で聞いてきた。

 

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家に帰ると尿で濡れた絨毯の上に倒れ込んでいて、動かそうとしても痛い痛い、もういいよ、やめてくれと私を睨んだ。祖母は救急車で運ばれてそのまま入院し、1年が経った。コロナだから一度も面会は出来なかった。初めは食事を摂らずに、余命あと2ヶ月ですと言われていたが、そのうちに病院食に慣れたようで、こちらもすっかり安心していた頃、突然「退院できます」と言われ、慌てて地元の高齢者施設と契約をした。

 

もうボケて、何も分からなくなっているかもしれないと心の準備をしていたが、病室から出た時に開口一番「あらま、よく太ったね、翔太」と言って、家族を笑わせた。

 

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施設に向かう長距離タクシーの中で、もしかしてマスクをしてるから顔が分からないのかもしれないと思い、こっそり顔を見せた。

「これ、誰?」と私が聞くと、祖母は遠慮気味な愛想笑いを浮かべた。

「コ、ウ、ス、ケ」と口の形が分かるようにハッキリ伝えてみたが、また同じ笑みを浮かべていたので、私は祖母の手を取り、一緒に微笑んだ。

 

タクシーが走ると2分起きに「ここはどこ?」「どこに行くの」と聞いてきて、私は何度でも答えていた。退院して、引越すと思っているようだった。

 

1時間程のタクシーの中で、兄にテレビ電話を繋げて、最近生まれたひ孫を見せると、「こんなに太って、どうだい、どうだい」と笑いながら、コツコツとスマホを叩いていた。

 

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高速を降りて地元を走っている途中に、コンビニの前を通りすぎた。

「この辺は、いろいろあって面白いねぇ。飽きないねぇ。住みよいかね。あれは、なんだい」

「コンビニだよ」

「ホオー、孝介は何が欲しい、ちょっと降ろして、好きなもの買ってやろ」と初めて名前を呼んでくれた。

「ありがとう、でも、今日は、いいや。」

私が手を撫でていると

「お婆さんは手が冷たいねえ、それとも孝介があったかいのか」

「うん」

「お婆さんの手、冷たいか?」

「ぬるいよ」

「ぬるいってなんだい」

と笑ってくれた。一緒に住んでいた時によくやっていた、お決まりのやり取りだった。

 

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施設について車が止まるとすぐ、母がタクシー代を払っている間に、職員がササーッと祖母を連れていってしまった。

 

あれっと思った時にはもう遅く、介護タクシーの運転手は「あら、もうこれで会えないかもしれませんねぇ」なんて言ってきた。

 

コロナで面会が出来ないのは仕方ない、でもさっきまで手を繋いでいて、まだ何の挨拶もしてないのに、と呆然とロビーで立っていると、エレベーターから祖母の乗っていない車椅子だけが降りてきて、その様はまるで焼き場のようだった。

 

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契約の為に10分程度だけなら部屋に上がってよい事になり、私はずっと祖母の手を握っていた。

「ここは、どこ?」「何のお店」「休憩するところ?」としきりに聞いてきて、なんて言えばいいかわからず、違うよ、としか言えなかった。

 

ずっと黙っていた母がついに「違うの、今日からお母さんは、ここで暮らすんだよ。」と伝えても、わからない、聞こえないと繰り返していた。

 

見かねて私が「し、せ、つ。」と耳元でいうとピンと来たようで、嫌だ、帰ると起き上がろうとした。大丈夫、職員さん優しいから、おばあさんは寝てなと言っても、いいよ、帰るよと言っていた。

 

「契約上の処理は以上となります。では、リハビリの先生が来るので、ここで。」と声を掛けられ、「もう、行かなきゃ」と手を離そうとしたら、「行かないで」と弱々しく私の腕を握った。

 

小さい頃、私は自分がマッサージされたいからという打算で、祖母の悪い足を揉んでいた。祖母はいつも、ありがとう、孝介は優しいねぇと私の足を揉み返してくれた。二十歳を超えてから同居して、一時期は喧嘩をするような事もあったけど、いつも祖母は食卓に座って私に笑いかけてくれた。年をとってからは、背中をさすってやるととても喜んで、たまに足も揉んでやると、小さい頃はあんなに可愛かったのにねえと皮肉を言ってきた。

 

祖母に腕を握られたとき、この腕を離したら、あんなに触ってきた祖母に触れるのは、これで最後になるのかもしれないと思うと、涙が出てきた。母の手前、私が泣いてしまったら、施設に預ける事を選んだ母を傷つけてしまうと思い、我慢しようとしたが、どうしても涙が出てきてしまった。それまでぼーっとしていた祖母の瞳が、黒く潤み、しっかりと私の瞳を見つめていた。祖母の意志が確かに存在していた。

「行かないで」

「でも、もう、行かなきゃ」

 

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見かねた職員達がすぐさま間に割って入り、私達の腕はするりと離れた。

「次はお食事の時間ですから行きましょう!」と明るく祖母を取り囲んだ。

 

私は母にも誰にも涙を見せないよう、先頭を歩き目を擦り続けた。ちょっと外で飲み物買ってくると嘘をつき、どうして自分が世話する事が出来ないんだろうと情けなくて泣いた。

 

面会が出来るなら、こんな気持ちにはならなかったと思う。祖母との生活がこういう形で終わるとは思っていなかった。コロナの流行、嫌な時代になってしまったと思う。