大人になりたかった頃
ハタチの誕生日、誰にも祝われなかったのが悔しくて、誕生日の終わる1時間前、独り表参道で降りた。
シャンパンゴールドの光を照り返す、泡のようなガラスで出来たビルたちに囲まれたら気が晴れる気がして来てみたが、思っていたより見慣れた景色で、すぐに終電が気になり帰宅した。
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中学生の頃、ちょっと不良で美人な同級生の真似をして、財布に自分で絵を描いた。彼女の財布は赤い合皮にアクリル絵の具、自分の財布は100均のポリエステルに修正液だったけど、それでも財布を見るたび嬉しかった。
ある日、不良の彼女に真似してる事がバレたけど「上手いじゃん」と笑ってくれた。
初めて帽子を買ったとき、不良達の真似をして、斜めに被って塾に向かった。
ドキドキしながら自転車を漕いでいると、3人の女子高生とすれ違い、「ねえみて、きもー」と笑われた。ディズニーで買った、ナイトメア・ビフォア・クリスマスの帽子だった。
いじめられてたから、勉強して、早く優しい人だけがいる学校に行きたいと思っていた。
エッチなものが見れるから、早く大人になりたいと思っていた。
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小さい頃からの思い出の品を、ランドセルにつめていつか自分の家族と見返そうと、ずっと大切にとっていた。
大人になった自分はゲイで、家族を持つことは無かった。
小さい頃の幸せが詰まったランドセルを、誰もいなくなった部屋で開けるのは、あまりにも胸が詰まり、いつしか開けることができなくなってしまっていた。
17時のチャイムが、耳に鳴り響く。
アニメを見ていると、母が料理を作り、父が帰るとおでこにキスしてジョリジョリした髭を頬に擦り付けてきた。自分は母の服の中に入れるほど小さくて、父は見上げるほどに大きかった。
乙女 関白宣言
些細な事にありがとうって言わないで
嫌なら嫌って普通に言って
昔の話なんかより
明日のランチの話がしたい
私の愚痴には頷いてればいいだけなのに
昨日つくってくれたカレー
すごくおいしかった
来年の誕生日もたくさん友達また呼ぼう
私にはちゃんと名前があるから
ハンドルネームなんかで呼ばないで
別れちゃっても名前で呼んで
祖母
「あらま、よく太ったね、翔太」と祖母が初めに声をかけたのは、たまに会っていただけの肥満の弟だった。
8年間2人だけで共に暮らしてきた私の顔を見ると、「この人は誰だい」と皺枯れた声で聞いてきた。
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家に帰ると尿で濡れた絨毯の上に倒れ込んでいて、動かそうとしても痛い痛い、もういいよ、やめてくれと私を睨んだ。祖母は救急車で運ばれてそのまま入院し、1年が経った。コロナだから一度も面会は出来なかった。初めは食事を摂らずに、余命あと2ヶ月ですと言われていたが、そのうちに病院食に慣れたようで、こちらもすっかり安心していた頃、突然「退院できます」と言われ、慌てて地元の高齢者施設と契約をした。
もうボケて、何も分からなくなっているかもしれないと心の準備をしていたが、病室から出た時に開口一番「あらま、よく太ったね、翔太」と言って、家族を笑わせた。
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施設に向かう長距離タクシーの中で、もしかしてマスクをしてるから顔が分からないのかもしれないと思い、こっそり顔を見せた。
「これ、誰?」と私が聞くと、祖母は遠慮気味な愛想笑いを浮かべた。
「コ、ウ、ス、ケ」と口の形が分かるようにハッキリ伝えてみたが、また同じ笑みを浮かべていたので、私は祖母の手を取り、一緒に微笑んだ。
タクシーが走ると2分起きに「ここはどこ?」「どこに行くの」と聞いてきて、私は何度でも答えていた。退院して、引越すと思っているようだった。
1時間程のタクシーの中で、兄にテレビ電話を繋げて、最近生まれたひ孫を見せると、「こんなに太って、どうだい、どうだい」と笑いながら、コツコツとスマホを叩いていた。
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高速を降りて地元を走っている途中に、コンビニの前を通りすぎた。
「この辺は、いろいろあって面白いねぇ。飽きないねぇ。住みよいかね。あれは、なんだい」
「コンビニだよ」
「ホオー、孝介は何が欲しい、ちょっと降ろして、好きなもの買ってやろ」と初めて名前を呼んでくれた。
「ありがとう、でも、今日は、いいや。」
私が手を撫でていると
「お婆さんは手が冷たいねえ、それとも孝介があったかいのか」
「うん」
「お婆さんの手、冷たいか?」
「ぬるいよ」
「ぬるいってなんだい」
と笑ってくれた。一緒に住んでいた時によくやっていた、お決まりのやり取りだった。
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施設について車が止まるとすぐ、母がタクシー代を払っている間に、職員がササーッと祖母を連れていってしまった。
あれっと思った時にはもう遅く、介護タクシーの運転手は「あら、もうこれで会えないかもしれませんねぇ」なんて言ってきた。
コロナで面会が出来ないのは仕方ない、でもさっきまで手を繋いでいて、まだ何の挨拶もしてないのに、と呆然とロビーで立っていると、エレベーターから祖母の乗っていない車椅子だけが降りてきて、その様はまるで焼き場のようだった。
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契約の為に10分程度だけなら部屋に上がってよい事になり、私はずっと祖母の手を握っていた。
「ここは、どこ?」「何のお店」「休憩するところ?」としきりに聞いてきて、なんて言えばいいかわからず、違うよ、としか言えなかった。
ずっと黙っていた母がついに「違うの、今日からお母さんは、ここで暮らすんだよ。」と伝えても、わからない、聞こえないと繰り返していた。
見かねて私が「し、せ、つ。」と耳元でいうとピンと来たようで、嫌だ、帰ると起き上がろうとした。大丈夫、職員さん優しいから、おばあさんは寝てなと言っても、いいよ、帰るよと言っていた。
「契約上の処理は以上となります。では、リハビリの先生が来るので、ここで。」と声を掛けられ、「もう、行かなきゃ」と手を離そうとしたら、「行かないで」と弱々しく私の腕を握った。
小さい頃、私は自分がマッサージされたいからという打算で、祖母の悪い足を揉んでいた。祖母はいつも、ありがとう、孝介は優しいねぇと私の足を揉み返してくれた。二十歳を超えてから同居して、一時期は喧嘩をするような事もあったけど、いつも祖母は食卓に座って私に笑いかけてくれた。年をとってからは、背中をさすってやるととても喜んで、たまに足も揉んでやると、小さい頃はあんなに可愛かったのにねえと皮肉を言ってきた。
祖母に腕を握られたとき、この腕を離したら、あんなに触ってきた祖母に触れるのは、これで最後になるのかもしれないと思うと、涙が出てきた。母の手前、私が泣いてしまったら、施設に預ける事を選んだ母を傷つけてしまうと思い、我慢しようとしたが、どうしても涙が出てきてしまった。それまでぼーっとしていた祖母の瞳が、黒く潤み、しっかりと私の瞳を見つめていた。祖母の意志が確かに存在していた。
「行かないで」
「でも、もう、行かなきゃ」
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見かねた職員達がすぐさま間に割って入り、私達の腕はするりと離れた。
「次はお食事の時間ですから行きましょう!」と明るく祖母を取り囲んだ。
私は母にも誰にも涙を見せないよう、先頭を歩き目を擦り続けた。ちょっと外で飲み物買ってくると嘘をつき、どうして自分が世話する事が出来ないんだろうと情けなくて泣いた。
面会が出来るなら、こんな気持ちにはならなかったと思う。祖母との生活がこういう形で終わるとは思っていなかった。コロナの流行、嫌な時代になってしまったと思う。
平成の終わる夜
誰も聞いてない警察官の拡声器が、どこにも届かずすぐ消えた。若者のつんざく笑い声や、大型ビジョンから流れるAIの平坦なナレーションが、幾千の人々のどよめきの中にひしめき合っていた。
渋谷のスクランブルの頭上には、星など見えない濃紺の空が重く迫っている。
平成が終わる夜、私の意味なんかかき消してしまう程の群衆の中で、あなたが隣にいた事は、運命なんだと思った。
24時が近づくにつれ、止め処なく人は増え続け、私たちはぎゅうぎゅうに押し流され、最早どこへも行けなくなっていた。
あなたは時計を見つめて、まだかなと笑った。
23時58分、59分と、どんどんとざわめきが大きくなっていく。
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…11! 10! 9! 8! 7!
突然始まった大きな大きなうねりの中で、私はあなたの手を握った。
6! 5! 4!
私が何をしたとしても人々の高揚は鳴り止まず、何が起こったとしても身を委ねるしかなかった。
3! 2! 1!
あなたのきらきらした瞳は、私ではなく、空を見上げていた。
0!
ワアアアアアという歓声と共に、目の前で透明のビニール傘が5本、ふわりと空に飛んだ。
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私は早朝のスクランブルに、一人で立っている。
あの日、カウントダウンが終わるとあっけなく人々は散ってゆき、それぞれの終電車に乗った。次の日からも何が起こるでもなく、人々は真面目に、満員電車に乗りながら平常な日々を続けた。
水色の影が落ちた渋谷の空気は、ひんやり澄んでいる。何も映らない大きなビル達は私をとり囲み、沈黙を続けている。
子供
3週間に一度恋しちゃってるのは、多分最近暇だから。
憧れてた人とデートできたけど、久々に会ったらこんなオジサンだったっけ。目尻の皺は可愛いけど、そんなに会社の悪口言わないで。
ほんとは好きじゃないこと気づいてたけど、あのドキドキを手放すのが勿体なかった。
隣に住んでるオバサンの恩着せがましいオハヨウに、出来れば毎朝会いたくない。
朝の牛丼屋が吐き捨てる切羽詰まった「ありがとう」は、返事もないのに真面目で健気。
好きな人に首締められながら、ひとりで死ぬくらいならこういうのでもまあいっかってキスをした。
恋人
犬の死ぬ映画は嫌い
テレビゲームも酔うから出来ない
でも あなたが好きって言ったから。
1ヶ月前から有給合わせて
ディズニー行こうって約束したの
破ってごめん
行ったらきっと楽しかったから
ディズニーを嫌いにさせちゃうと思った
喉から言葉が出なくて ごめん
別れたいって言わせてくれて ありがとう
弟
弟といえども他人なんだと初めて知ったのは、24歳のころだった。
「おれ、アイツといると、何話せばいいか分かんないんだよね」と言っている事を、母づてに聞いたのだ。
昔は一緒にスマブラしてたのにね。
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弟は脳に損傷のあるかなり気難しい父と住んでいて、父の毎日毎日繰り返される質問や癇癪に、ウン、ウンと耐えていた。
そんな弟が、去年の暮、父に「認知症検査したら」と勧めたら、殴られたそうだ。
痛かった?と聞くと、
「あんまり弱々しくて、なさけなくなっちゃった。あんなに心は怒ってるのに、身体はついてかないんだね。」とほくそ笑んだ彼に、遅れてきた自立と反抗期を感じた。
程なくして彼は実家を出て、私の住む祖父母が建てた家に引っ越した。
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子どもの頃は、風呂場に置かれた、髪のダメージなんか知るか、洗えればいいだろうといった、家族向けの安いシャンプーを皆で使っていた。
弟との二人暮らしが始まってみると、特になんの取り決めもしていないのに、風呂場には弟用のシャンプーが増えていた。
居間で会えばもちろん話すけど、大抵家に帰っても弟はいるかいないのかわからず、弟の部屋の扉は静かに閉まりつづけている。