いつの間にかに
いつもの乗り換え駅で降りたはずなのに
見慣れない場所に立っていた
知らぬ間に、1番線から2番線へと
到着するホームが変わったようだ
毎朝なんとなく目の前にあった大きな木はステンレスの車体に隠され
遠く向こうから鳥の鳴き声だけが聞こえた
毎日続くと思っていた日常は
僕の聞こえない所で分岐点のスイッチが押され
電車は有無を言わさず反転した世界まで僕を運んだ
夜テレビをつけると
遠くの国で撃たれたミサイルが花火のように光っていた
優しさ
大粒に変わった雪を見て
気まぐれに傘を閉じると
綿のような雪が
ぱさぱさと頭を小突いた
初めはその優しさが心地良い気がしたが
すぐに雪は溶け
髪を重々しく濡らした
額に雫が伝う頃
私は傘をまた開いた
故郷
地下鉄のドアが開く。なだれ降りてくる何十人もの乗客と無言ですれ違い、湿気った空気のこもる電車に詰め込まれた。
無数の人々の呼吸や自動で流れてくるアナウンスをイヤホンで塞ぎ、音量を上げた。
---
真っ暗な月夜のちいさな入江には、そよ風に揺れる森と、やさしい波の音だけがした。
教室の喧騒の中で聞く貴女の消え入りそうな歌声は、さざなみの間だと静かで、澄んで聞こえた。
「来年で卒業だね。」
真っ白く清潔なセーラー服は、一切の湿気を含まずにピンと立って、風を透き通していた。
さっき買ったばかりの冷えたサイダーは、あとふた口だけだったから、最後のひと口ずつ舌で転がして、泡を溶かした。
私が無言で手を握ると、セーラー服の乾いた布同士が擦れる音がした。
---
十数年ぶりに帰省すると、とっくにセーラー服を脱いだあの子が、叔母さんと同じ銀行員の灰色のスカートを履いていた。
久しぶりと笑ってくれた彼女は少し太ったように思う。銀行の中でもしっかりと聞き取れるほど、明るい堂々とした声だった。子供も3人産んだらしい。
「何もなくてもまたおいで」と手を握ってくれた彼女のシャツは、しっかり糊が張られて、真面目にピンとしていた。
成長痛
閉じてゆく私の青春は、どれだけ美しかったでしょうか。
朝日に光るやわらかい産毛は、掌をほんの少し返すだけで、いとも簡単に翳った。
---
どんなに嫌でも私の青春は今で、今しかなかった。
電車を何本も見送って、何かを待っていた。行きたい所なんてなかったけど、地下鉄のホームで本を読み、何かを待ち続けた。
スカートの長さでそれぞれの正義を測り、満員電車に隠れて秘密のうわさ話をした。
新宿での乗り換えがうまくできなくて、仕方なく、知ってる町へと電車が向かう。
---
あこがれてたブランドのネックレスは、味気なく宅急便で届いて、星空の夜にはプレゼントされなかったけど、これから思い出つくればいいや。
インターネットの星占いは、気づけば読まなくなっていた。
---
「かわいいね」って見つめてくれる貴方の瞳の輝きが、いつか消えるのが怖かったから笑うことしか出来なかった。
もう子供じゃないんだし、手を繋ぐだけじゃ駄目みたい。
---
土砂降りの中、ポッケに手を突っ込んで、早足で歩く男の子。
たばこはケーサツに見つかる前に消しといたほうがいいよ。
ひとり
「どうして幸せになんかなれないのに僕を産んだの」と泣きついた。
ついに言ってやったぞと、母に見えない復讐に心臓はじんわりと灼け、卑屈にニヤついた。
母は、驚きも慰めも謝りもせずに
「健太、あんたおかしいよ。前の健太に、戻ってよ。」と、空回りした私を抱いた。
ずっと用意していた台詞は、思っていたより嗚咽で途切れ、ダサかった。
---
高校3年生になってまで、歴史書に乗る事を想像をしていた自分は、病気だったんだと思う。進路を聞かれたとき、瞼の裏ではバベルの塔と自分の石碑を描きながら『ケンチク学科に興味あります』と答えていた。
大学に入ると、当たり前に同級生は建築が好きで、全く話にはついていけず、趣味も明るさもない自分は「お前、つまんないな。」と言われて、脳天から殴られたように目を見開いた。
どうにか目立った人にならなきゃと「発達障害 特徴」など検索して書いてあった事を真似してみたり、哲学の棚から響きの良い題名を見つけては、書いてある事を自分が思いついたかのようにSNSに書き込んでいた。
特別にならなきゃと思いこんでしまったのはいつからだろう。
中学で昨日まで仲が良かった人たちに殴られて、初めて嫌われてたんだって気づいてからだろうか、それとも自分がゲイだと知ってからだろうか。
自分が生きた証を何も残さず死ぬのが怖かった。
誰にも見向きもされないのが怖かった。
---
母に泣きついてから、両親は1時間2万円もするような相談所に通ってみたらしいが、私はそんな事とは知らずに、布団の中で太宰や芥川を10ページほど読んでは昼寝をする日々を繰り返していた。
一緒に住んでいた祖母は働かない私をみても、「若いから大丈夫、男は40からだよ」といつも笑っていた。少しボケていた。
40歳という根拠は、12歳から働き続けた祖父が生涯付き合う顧客と出会ってやっと生活が安定したのが40歳だったからだ。
何年も前に買って放置していた『ツァラトゥストラかく語りき』を手に取ったのは、尊敬していた同級生が引きこもりの時に励まされたと言っていたからだ。
この本を読み終えたらきっと自分も逞しい人間になっていると、布団の中で本気で信じていた。
---
ビーッ、ビーッと緊急事態のようなアラームで毎朝定刻に起きるのも働き始めてすぐ慣れた。
ツァラトゥストラの最後の一行を読み終えたのは、三日月の輝く夜でもなく、普通の土曜の、曇った昼だった。最後の一行を読めばきっと、全てが分かると信じていたのに、読み終えた瞬間にあったのは、ブヨブヨとした、よくわからない、という気持ちだけだった。最後の一章を何度読み返してみても、私は獅子にはなれず、私のままだった。
ずっと布団にいたあの頃、朝目覚めたときに聞こえる鳥の鳴き声や、すりガラス越しに見える緑葉の影と輝きに、感謝と愛を感じていた。どうしてそう思えたのかは、もう思い出せない。
しかし今でも、やさしい月の銀の光に気づかせてくれるのは、自分の足音と葉のざわめきだけがある、独りの夜の静けさだ。
Re:ニヒリズム
「別に何やっても意味なくね、どうせ死ぬし。」って、そんなつまんない顔で食べるなら、ビーフシチューなんか作るんじゃなかった。
カチャカチャとスプーンの音だけが鳴る。あなたの眼鏡の金色の縁は、蛍光灯の安い光を照り返した。
---
なんでも知ってる所がかっこいいと思った。人をよく馬鹿にするけど、まだ子供なんだなって可愛く思った。
スマホばかり見つめる冷たい目は、私を見つめてはくれなかったけど、ブルーライトを反射するあなたの睫毛の光る雫に恋をした、ような気がした。
もしかしたら、ただあなたを抱きたかっただけなのか、私には分からなかったけど、とても愛おしく思い腕にキスした。
ふいに目があい、押し倒された。真っ白い木の壁には、ドライフラワーが几帳面に吊るされていた。何も敷かれていない床は冷たかったけど、あなたの好きな花、あなたの好きな音楽、あなたの好きな世界を壊したくないから、そのまま目を閉じて、あなたの夢に付き合った。背中は、ほんの少しだけじんわりと、あたたかくなった。
---
「じゃあアンタは一生、味のないお粥ばっかり食べてれば。」
揚げ足とりばかりが好きな息子をたしなめた。ニヒリズムに恋をしていたあの頃の私よりも、ずいぶん太ってしまった。
どうせ死ぬんだからこの子達を産んだのは意味が無かっただったなんて、きっと死ぬまで思わない。
意味がなくても、明日もこの子らと一緒にいたい。そして明後日も、出来ることなら、いつまでも、この瞬間を味わいたいと願う気持ちが、私を明日へ向けてくれている。
忙しくて、たまにカレーを何日も続けて出してしまうけど、それでもできるだけ、昨日とは少しずつ違う味の料理を出そうと、何の飾りもないキッチンで戦っているのだ。