ひとり
「どうして幸せになんかなれないのに僕を産んだの」と泣きついた。
ついに言ってやったぞと、母に見えない復讐に心臓はじんわりと灼け、卑屈にニヤついた。
母は、驚きも慰めも謝りもせずに
「健太、あんたおかしいよ。前の健太に、戻ってよ。」と、空回りした私を抱いた。
ずっと用意していた台詞は、思っていたより嗚咽で途切れ、ダサかった。
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高校3年生になってまで、歴史書に乗る事を想像をしていた自分は、病気だったんだと思う。進路を聞かれたとき、瞼の裏ではバベルの塔と自分の石碑を描きながら『ケンチク学科に興味あります』と答えていた。
大学に入ると、当たり前に同級生は建築が好きで、全く話にはついていけず、趣味も明るさもない自分は「お前、つまんないな。」と言われて、脳天から殴られたように目を見開いた。
どうにか目立った人にならなきゃと「発達障害 特徴」など検索して書いてあった事を真似してみたり、哲学の棚から響きの良い題名を見つけては、書いてある事を自分が思いついたかのようにSNSに書き込んでいた。
特別にならなきゃと思いこんでしまったのはいつからだろう。
中学で昨日まで仲が良かった人たちに殴られて、初めて嫌われてたんだって気づいてからだろうか、それとも自分がゲイだと知ってからだろうか。
自分が生きた証を何も残さず死ぬのが怖かった。
誰にも見向きもされないのが怖かった。
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母に泣きついてから、両親は1時間2万円もするような相談所に通ってみたらしいが、私はそんな事とは知らずに、布団の中で太宰や芥川を10ページほど読んでは昼寝をする日々を繰り返していた。
一緒に住んでいた祖母は働かない私をみても、「若いから大丈夫、男は40からだよ」といつも笑っていた。少しボケていた。
40歳という根拠は、12歳から働き続けた祖父が生涯付き合う顧客と出会ってやっと生活が安定したのが40歳だったからだ。
何年も前に買って放置していた『ツァラトゥストラかく語りき』を手に取ったのは、尊敬していた同級生が引きこもりの時に励まされたと言っていたからだ。
この本を読み終えたらきっと自分も逞しい人間になっていると、布団の中で本気で信じていた。
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ビーッ、ビーッと緊急事態のようなアラームで毎朝定刻に起きるのも働き始めてすぐ慣れた。
ツァラトゥストラの最後の一行を読み終えたのは、三日月の輝く夜でもなく、普通の土曜の、曇った昼だった。最後の一行を読めばきっと、全てが分かると信じていたのに、読み終えた瞬間にあったのは、ブヨブヨとした、よくわからない、という気持ちだけだった。最後の一章を何度読み返してみても、私は獅子にはなれず、私のままだった。
ずっと布団にいたあの頃、朝目覚めたときに聞こえる鳥の鳴き声や、すりガラス越しに見える緑葉の影と輝きに、感謝と愛を感じていた。どうしてそう思えたのかは、もう思い出せない。
しかし今でも、やさしい月の銀の光に気づかせてくれるのは、自分の足音と葉のざわめきだけがある、独りの夜の静けさだ。